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              機関紙 「からばす」17号から

   巻頭言(私とアフリカ)    現地 活動報告     M ジャワラのバマコ通信    チョットした話   
      私とアフリカ          重光 綾子(日本中近東アフリカ婦人会)
アフリカのナイジェリアへ主人と赴任したのは一九七〇年でした。
大体私は「所謂、文明国」へ任地として行きたいと思った事は
ありません。

どちらかと言へば何が起こるかわからない国の方に魅力を感じ
ていました(私はこれに共産圏の国々も含めてゐます)。 
正直に言ってナイジェリアがどんな所か殆ど分かってゐませんで
した。
でも着いてみたら、暑い事以外はラゴスはそんなに変はってゐ
るとは思いませんでした。
とにかく普通の生活をするのに何も不自由はありませんでしたと言ひたいのですが、困ったのは停電です。
電気製品は全部使用不可能に

なってしまひ、一番困ったのは電気ポンプが汲み上げてゐた水です。七〇年代の首府ラゴス一帯は
ラグーンなので井戸を掘っても塩水しか出て来ないのです。

 私はナイジェリアの人をよく知るために早速色々なナイジェリアの婦人会に入りました。ナイジェリアの婦人
達は私を喜んで会員として受け入れてくれました。一緒に活動してゐますとナイジェリアの人達の考へ方や
やり方等が見えてくるのではないかと考へてゐました。一般的に外国人はアフリカ人を含めて日本人より外
国人の前である事をあまり気にしないで、お互ひ喧嘩したり、悪口を言ひ合ったり等体裁を繕いません。

それで一応その国の人達の本音に近いものが見へる訳です。勿論ある国に三、四年ゐただけでその国や
そこの人々の事が完全に分かったと思ふのは大きな間違ひです。

 私は一九七八年に日本に帰ってから、三年後に日本中近東アフリカ婦人会を創りました。日本に来てゐる
アフリカとアラブの婦人達に日本で楽しかった、日本の人が親切にしてくれたと、よい思ひ出を持って自分の
国に帰って欲しいのです。その為に色々な活動をしています。また親しく付き合っている人達の国で内乱と
か旱魃などで苦しんでゐる人達がゐるとなると、やはりバザー等で資金を集めて寄付する事になります。

 私達の会員が直接現地に行って援助活動をできないので私はアフリカで活躍してゐる日本のNGOを育
てる事も大事ではないかと思ってゐます。NGOの会報等を読んでゐますと、随分苦労をしながらもそこの国
の人達の為に一生懸命努力してゐる日本人に頭が下がります。まだ日本のNGOは他の国のNGOより歴
史が浅いし、資金面で大変なのでできる限りの支援が必要だと思ひます。

 私はかねがね国際交流とか援助等他の国の人達を対象にする時は、ただ善意だけでは足りないと思って
ゐます。やはりある程度の知恵は欠かせないでしょう。それから忍耐と決して相手側からの感謝を期待しな
い事、また冷静な批判精神等が必要です。勿論これはもう何年もNGOとしての経験を積んでゐる方達はよ
く分かっていらっしゃる事だと思ひます。

 もうアフリカを離れて三〇年以上になりましたのでアフリカの国々も変わってゐるでせう。私はやはり自分
の人生の何年間かを過ごした所を、心のどこかで懐かしく思ってゐます。アフリカの音楽,タイコのビート等
聞くと自然に体が動きます。さうしてナイジェリアでの本当に尊敬できる人、また心を通はせた人達との出会
ひが自分の人生に在った事に感謝してゐます。

 心からアフリカ大陸の人達の幸せとNGOの人達の成功を祈ってゐます。