カラ=西アフリカ農村自立協力会の会報 「からばす」15号から

カラ自主評価調査員からのお便り

  カラは現地での活動が本当にマリ農村の人たちに有効であるか、また私たちの支援する気持ちが通じているかを知る為に5年間隔で自主評価を行っています。第一回目の評価はカラ理事の本橋栄、茅根史男が行いました。二回目となる今回は、評価調査員を3人とし昨年12月に実施しました。評価調査員は、外部からJVC所属の壽賀一仁氏、カラ会員でカラの事業開始時のスタッフだった内野Keita香美氏、加えて当会理事の大谷久行の3人でした。
  評価の傍ら、からばす15号に次のような文章をお寄せ下さいましたのでご紹介いたします。

                  ◆ ◆ ◆

* 木陰という贈り物                      壽賀 一仁

 カラの活動地を初めて訪問した12月後半、抜けるような青空の下、トゥグニ地区の村々を毎日訪ねてまわった。乾季のはじめでハルマッタンの砂嵐が吹く前というマリの一年で一番過ごしやすい時期だったが、それでも日中の日差しはとても強烈で、滞在するうちに真っ黒に日焼けしてしまった。日本の冬にアフリカ出張から帰国すると、季節外れの日焼けのせいでどうしても都会の雑踏で一人浮き上がってしまう。かといって、日焼けの様子が違うので、どうやってもスキー焼けとは言い張れないのがつらいところだ。
 さて、カラの活動に関する村人へのインタビューは、どの村でも識字教室の建物の中でおこなった。果樹園のマンゴの木やわずかな学校林をのぞけば、トゥグニ地区の村々には人々に木陰を提供してくれる大きな木がほとんどないからだ。カラも村人と一緒に植林活動に取り組んでいるが、雨量の少ない土地での木々の成長は遅く、人々に憩いを提供してくれるにはまだまだ時間がかかる。
 こうした村々の訪問中、ご多分に漏れず私もたくさんの写真を撮らせてもらったが、今それらを見返してみると、マリの日差しの強さをあらためて思い出させられる。なぜかといえば、日中に訪問した村の共同野菜園などの写真は、その多くが露出オーバーで白っぽく写ってしまっているからだ。一方、識字教室の建物の中で撮ったインタビューの写真は、窓から差し込む日光とのコントラストのた
め、村人の表情がわかりにくいほど暗く写ってしまっている。私のデジカメにもいろいろと立派な補正機能がついているはずなのだが、それを使いこなせない自分の機械音痴に今更ながら苦笑せざるを得ない。
 ところで、トゥグニ地区訪問の帰り、1994〜2000年の間にカラが活動していたバブグ村に立ち寄った。そこでは、当時カラが村人と一緒に植林した木々が立派な並木に成長して、涼風がそよぐ憩いの木陰を作り出していた。「昔は牛たちでさえ休む場所がなかったのよ」という村上さんの声を聞きながら、私は木陰でくつろぐ牛たちを眺め、カラと村人と時が育んだ贈り物の大切さをかみしめたのだった。

* キャプテン(=お魚の名前)の謎?        内野KEITA香美

大西洋に面したセネガルからやって来ると、ニジェール河が流れるマリはなんだかほっとします。バマコの街の中を悠々と満々と流れるニジェール河。この河は一度北上し、マリ北部の沙漠地帯を進みそして、遥かナイジェリアまで到達します。長い旅をして、海に辿り着くのですね。そこはギニア湾。大西洋のお隣、ということは、ニジェール河の水は大西洋までも行くのでしょうか。となるとさらに遥かな旅です。こんな雄大な自然の営みを余所に、人々はバタバタと日々を生活してしまいがちですね。そんな毎日の暮らしを見ると、セネガルの人々が賑やかなのに比べ、マリの人々はちょっとおっとりしている(最近はそうでもないかな?)とも思えます。これは大西洋とニジェール河の良いところに育まれた夫々の特徴かも知れないですね。
そう言えば、キャプテンという名前の魚は大西洋にもニジェール河にもいます(同じ仲間なのでしょうか?)。このキャプテン、実は、大西洋とニジェール河をウナギのように回遊していたりして???いつかその謎を解きたいな〜と思っております。
おまけ:美しいニジェール河は大好きです。でも海のお魚が恋しくなり、「やっぱり魚はセネガルだわ!」と我が家のあるセネガルに戻りました。相変わらず花より団子ぶりは変わっていないことがいよいよハッキリしてしまった今回のマリ滞在でした。

* 初体験                             大谷  久行

  初めてのマリ!!そこは雲一点もない青い空とサハラ砂漠へ続く赤い道、肌に焼きつく熱い風が印象的だった。都会生まれ、都会育ちの私は日本の農村生活の経験すらない。この状態で自分の身体がマリの地をどう感じるか、というのも一つの期待する内容であった。
  振り返れば12年前、1993年に村上さんと出会いその年からカラの理事になった。その後日本でのカラの事業報告会、チャリティーコンサートの司会や、私の知人を紹介するなどがカラとの付き合いだったが、現地へ行った事はなかった。マリに到着してバマコのホテルで荷を解き、21日からいよいよ村への出発だった。調査地域のモバ村でのプレテストの終了後、畑を見学しながらカラのコニナ宿舎に向かう。午後6時前に到着。コニナ村が現在の活動の中心地で土レンガ作りの宿舎があり、ここから全ての事業は発せられる。屋外でバケツ1杯の水で体を洗った後の夕食はミレットのトウでサラダもありこれも全く初めの味だった。コーヒーもオヤツも無い一日で空腹の身には素晴らしく美味しく、いつもより豊かな気持ちだった。すぐに日が落ちて空が星で広がる。明かりは懐中電灯。午後9時過ぎには眠くなり、初めての寝袋生活に突入。翌朝起きた時には身体が痛かったが比較的良く眠れた。3泊4日で村から一時的にバマコのホテルに戻る。サファリレースの大変さが良くわかった。24日、午後から打ち合わせ(インタビューの反省と今後の予定)のためカラ事務所に向かう。夜はイブを祝うため壽賀さんと外食。地元の流行っているレストランでピザ等々のイタリアン。次の朝が早いので早めに就寝。とにかく、よく眠れる。そして再び2泊3日の村での生活だった。
 カラの活動は村の人にも支えられ支持を受けている。一言で大したものだと思う。それでも課題は多い。村上さんの次をどうするか?助成金をもらい続けるのが難しくなってきて、今後の資金作りをどうしていくか?年間約4億cfa(セーファーフラン)の活動資金をどうやってキープできるのか?カラの著名度を上げるには広報活動をしっかりしていかないといけない。マリの行政に対して社会的に貢献していることをもっと宣伝すべきだ。事業による資金繰りの改善と、広報・宣伝活動による支援者の増加が当面の課題である(これはある意味日本のベンチャー企業の経営と同じ)。今日本ではNPOが活発に生まれているが、継続させるための施策とも同じである。
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