カラ=西アフリカ農村自立協力会の会報 「からばす」11号から

NGOよ、アフリカを目指せ!

社団法人 アフリカ協会 
副会長  黒河内 康

一説によると、アフリカがらみのNGOは日本に120を数えるそうだ。それだけアフリカに関心と情熱をもって活動しておられることを知り大いに感銘をうけている次第だ。世の中には、わけ知り顔に、アフリカは何をやっても発展しないから、程ほどにお付き合いをすればよいと、冷たく突き放す云い方をする人もある。本当は、それでよいのだろうか。ひとつの国、ひとつの民族の将来性を軽視するのは間違いだし、良識ある人は慎まねばならないことである。まして、アフリカ史の頁を繰れば、マリ帝国とかソンガイ帝国のような大帝国が往時栄えていたことは云うまでもない。

  民族に内在する力をどう読むかは難しい問題である。ましてや、変動期においては軽々しく判断することは回避すべきものだろう。或る知識のある人によると、明治維新の前に日本を訪れた英国人ジャーナリストが、日本人は綺麗好きで礼儀正しく真面目だけれど、日本は50年経っても発展しまいと書いた由である。その日本が、日英同盟を結び、日露戦争で勝者の位置をうるに至ったわけである。目前の事象だけで判断することの危険性を暗示しているエピソードではあるまいか。

  天の時、地の利、人の和というが、天の時が至れば、通常思いつきもしない展開があるものである。私は、アフリカのどの国についても、その可能性はどうであろうかと想をめぐらしている次第である。天の叡智によるタイミングは人智をもっては測り難い。地の利も、国土を人力をもって変更するには限度があるが、活用次第では大幅な利便をもたらしてくれる筈である。そこで人の和であるが、単なる人と人との間の和だけではなく、各人がもつ資質、才能、知力、修練の総和をも意味するものであり、それを多面的多層的に増強しておくことが、一旦天の時至れば民族の昂揚する精神を軸として国力を展回、展開、転換させる筈である。

  人は、歴史と時代の産物である。伝来の風習と植民地時代の制約の下に今日があるのがマリ共和国ではなかろうか。私は不幸にしてマリを訪れたことがなく、土地勘(感)は皆無である。しかし、これまで遭遇したマリ人の言動をもとに考えると、民族の秘めた力と才能の大きいことが感じられる。リーダー層の人々が国や民族の全体を意味するわけでないことは云うまでもない。

 そこで、NGOが登場する必要がある。民衆の間に入り、民衆の需要と受容能力が許す限りでの支援を与えることがNGOの生き甲斐である。生活、教育、育児、保健その他多くの面で民衆の足許を明るくする人間的協力が求められる。伝教大師の言という「一隅を照らす者、即 国の宝」の言葉は深い含蓄があり、CARA
はまさに一隅を照らし、マリにとっても日本にとっても宝であり続けるのだ。

「マリ ところどころ」

奥山 和子

地図を見てマリとは日本からアマリに遠いからマリと名付けられたのかと、行きたい国には違いないが、夢の中の夢と思っていたのがまさか、まさかが実現しようとは。

 今から20年以上前、たまたま読んだ森本哲郎氏の“私のニジェール探検行”に、チャンスがあればニジェール川を一眼みたいと思うようになった。
 人の行為は高度な目的、その地の歴史、交易、科学的考察、調査etc. 命さえ賭けて実行する事もあり、私のような完全無目的、唯唯見たいと思うだけの事もある。

 唯一つこの度のマリ行は私の積年の願い、今まで生き延びて、社会から色々恩恵を享け、大した病気もせず、良き先輩、知人、友人を得て愉しい人生を送り得た謝礼に、どこか低開発の国の片隅に小さい学校を寄贈したい。私が今まで外国旅行をした多くの国々は貧しく、識字率が低く、裸足の子供が大木の木陰で小さい黒板を抱えて字を習っている姿を幾度か見て、せめて屋根のある所で、机と椅子を並べて勉強できる所があればと心に抱き続けていた。

 ひょんなことから村上さんを介してマリのザナという寒村に、小さな小さな学校を作って戴いたので、見に来ないかとのお誘いを受けたが、世間で言う私とて“御高齢者”なので、森本氏の本の中、「ジカンガナーイ、ハークシロ!」と現地のガイドのカマラに叫ばれたら、私は言葉が解らぬし、忽ちおいてけぼりを喰わされて迷子になりそうなので躊ったが、“お声のかかった時がチャンス”と決心した。

 一行は御案内役の高坂さんを除いて7名。基礎知識零の私の見た表層的マリは的確さを欠き、見誤り、聞き違いもあろうが、書きとどめる。

@入国時に点検されなかったイエローカード(黄熱病)を、出国時に見せろというので??パリ行きの飛行機の中に黄熱病?“いらないと思ったのでトランクの中”と日本語で言うと、“O.K”と、黒い顔の検察官のゴーサイン。日本語解るのかなー?マリは世界語の通じる国。万歳!!

Aマリは日本の2.5倍も広い国だけあって、幹線道路は殆ど地平線まで真直ぐ。これではドライバーは退屈して居眠り。案の定トラックの横転の残骸を幾つも見た。それに何と車の高さの倍以上に高い積荷を暫々見て仰天。

B木の多いこと。冬だから花の咲いている木は少なかったが、アフリカといえば乾燥地帯、砂漠と思うが立派な大木が自然林をなし、植林地は少なく、建築材や燃料になるもの植林はどうなっているのかなと思った。

C容器―広い広い見渡す限り、収穫期の径5060cmもあろうかと思うヒョウタンが枯れた蔓の敷かれた中にごろごろ転っている畑が沢山あり、路傍で半分に割った容器、小さいものはシャモジ、小さく切った壁掛などに作って売っていて、二つ割りの容器は食料や雑貨などを入れ頭の上に載せて歩いている。中国製のプラスチックのバケツ、如雨露、洗面器など出回っているが雅味がない。

D服装―特に女の人の服装の色あいの多様さに驚いた。色も柄も派手で大きく、灼熱の太陽に対抗するにはこうでなくては駄目かもしれぬ。特によそゆきの服はたっぷりギャザーをとったり袖を膨らませ、その上シャンと硬ばった布をトサカのように頭上に折り疊み、残りの布で頭を包む。まるで雄鶏の展覧会のようだ。それに又ネックホールを広くとって片方の肩を開けている服は、一寸艶かしい。男性もよそゆきは地模様のあるシャッキリした広巾のガウンのような長い上衣を肩のあたりで折り込み、縫目は脇のあたり少しというもので、色とりどりの小さい帽子を載せ、日本の平安朝のような様相だ。聞くところによると収入の8割をオシャレに使うとか。魂消た!!

E市井の人々の顔、柔和な顔立ちの人が多く眼が卑しくない。外国人を見る眼がおおどかで、何時までも同じ視点で見ている。こちらが戸惑ってしまう。一部の観光地のこすっからい人達を除いて。

Fニジェール川―私の見たニジェール川は平穏な美しい日で、水は清く澄み、向う岸が霞んで見えぬ程の広く豊かな流れで“ジュシ コンタン”(余は満足じゃ)以外の言葉はない。時に濁流と化し、荒れ狂う日もあろうに。

G雑感―マリの国内10日間、首府バマコ〜セグー、モプテ、ドゴン、セバレとほぼニジェール川に沿ってと、カラの活動地ザナ、モバ、コニナの旅であったが、博物館に収納されている往時マリ王国の文化の高さに驚嘆した。世界は今最新の兵器で殺戮に余念がない。多くの動物や植物が絶滅したように、人間もその後を追うかもしれぬ。願わくは二ジェール川で洗濯に余念のない女達や、水しぶきをあげ歓声をあげる子供達の姿が永久に消えぬ事を祈るばかりだ。「ジカンガナーイ。ハークシロ!」と蛮声をあげるカマラの声が聞えるようだ。

種々御配慮、お世話下さった村上様はじめ多数の方々に深謝。

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